富山ってこんなところ

越中おわら踊り

かってのおわら踊りがどのようなものであったかを伝える資料は少ないですが、元禄年間、町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び三日三晩踊り明かしたことに由来すると言います。

現在のおわら踊りは「豊年踊り(旧踊り)」と「新踊り」に大別されます。
豊年踊りの所作は農作業をしている所を現した踊りで、老若男女を問わず、誰にとっても楽しむことのできる踊りです。

新踊りはさらに「男踊り(かかし踊り)」と「女踊り(四季踊り)」に分かれます。
男踊りの所作は農作業を表現しており、所作の振りを大きく、勇猛に踊り、女踊りの所作は蛍狩りを表現しており、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされています。

新踊りはその両方とも、昭和初期に日本舞踏家によって振付けられた主に舞台演技用の踊りです。
まず女踊りを当時八尾にも多くいた芸鼓たちに振り付け、その後男踊りを振付けたということです。
もともと女踊り(四季踊り)だけ唄に合わせた四季の所作が入っていましたが、近年では男女混合で踊るときにぺアを組んで妖艶な所作を入れたりもしているようです。

この所作は八尾の各町内ごとにいろいろと改良工夫がなされており、それがおわら踊りの特徴の一つとなっており、来訪者を引きつけて離さない魅力となっています。

踊りも魅力的ですが、衣装も魅力的です。
踊り手の衣装のデザインや色は、各町によって大きく異なりますが、男性・女性ともに、編笠を深く被るのが特徴です。

このように顔を隠すようにして編笠を被るのは、かつて手ぬぐいで顔を隠して踊っていたことの名残りだそうです。
男性の踊り手は股引に法被姿、女性の踊り手と地方は浴衣姿で踊ります。

男性の踊り手が着て踊る半天(法被)は農作業着を模しています。これは木綿ではなくて絹の羽二重で作られており、各町それぞれ意匠を凝らした模様と背中には各町の紋章が入っています。帯は西新町以外は角帯です。

女性の踊り手が着て踊る浴衣は、胴まわりや袖の部分に、おわら節の歌詞が染め抜かれています。ただし、東町・鏡町の女性の浴衣には歌詞は染められていません。

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