富山ってこんなところ

天下の険
  ~親不知・子不知(おやしらず・こしらず)~

飛騨山脈(北アルプス)の日本海側の端は、断崖絶壁が日本海にストンと落ち込んでいます。


昔は、越後国(今の新潟県)と越中国(今の富山県)の間を往来する旅人は、この断崖を海岸線に沿って進まねばならず、古くから越路(北陸道)最大の難所として知られてきました。
 

「親不知・子不知」・・・地名の由来は2つの説があります

  1. 断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に、親は子にかまってやれず、子は親を顧みる余裕がなかったことから親知らず、子知らずと呼ばれるようになった。
  2. 平清盛の弟、頼盛は落人として越後国に暮らしていたが、このことを聞きつけた奥方は、京都から越後国を目指してこの難所に差し掛かった。しかし難所を越える際に、連れていた子供が波にさらわれてしまった。その際悲しみのあまり詠んだ「親知らず 子はこの浦の波枕、越後の磯の泡と消えゆく」という歌が由来になった。

というものです。

天下の険と言われた親不知は、明治16年に断崖を削った街道が開かれました。
その後いくつかの改良を経て昭和48年の国道8号天険トンネルの開通により使用されなくなり、遊歩道として使用されるようになりました。

現在はJR北陸本線、国道8号、北陸自動車道が通り、通行に支障は無くなりましたが、北陸自動車道は親不知IC付近を日本初の海上高架橋により通過しており、難所におけるルート選定の労苦を偲ぶことが出来ます。


新道(二世代目)開削(明治15年)

北陸自動車道路 親不知IC付近の海上高架橋
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