富山ってこんなところ

ブリ街道 ~富山(岩瀬浜)から飛騨高山へ~

江戸時代、富山から高山までは、神通峡の右岸から東猪谷を通る東道と、神通峡の左岸から西猪谷に至る西道があり、
どちらも約90km、3日程度の時間がかかりました。

富山湾(富山市岩瀬浜)で水揚げされ、保存用に塩漬けした天然ぶりは富山から歩荷(ぼっか)や牛の背に担がれ、
高山へ。さらにそこから野麦峠を越えて信州(松本)まで運ばれていました。


<ブリ街道>

12月に獲れた富山のぶりが高山に運ばれて年越し魚の「越中ぶり」と呼ばれ、さらに高山で塩を加えて信州に運ばれたものが
「飛騨ぶり」でした。

このような貴重品の「越中ぶり」が大量に運ばれていた飛騨街道は、「ぶり街道」と呼ばれていました。

飛騨地方ではこの“塩ぶり”は年越しには欠かせない縁起物とする
習慣があり、またお歳暮御祝い品などとして重用されていました。
これは現在でも続いており、高山では歳末恒例の「塩ブリ市」が
毎年開催されています。

ぶり街道 越中西街道の「籠の渡し」
<ぶり街道 越中西街道の「籠の渡し」>
高山の塩ブリ市
<高山の塩ブリ市>
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