富山ってこんなところ

復元 北前船 日本海を往く!
   ~富山の昆布の食文化のルーツ~

北前船は、藩政期から明治中期頃までの間、北海道と大阪間(日本海、瀬戸内経由)を往復していました。

北前船の商売の特徴は、他人の荷物を運んで運賃を稼ぐ「運賃積み」ではなく、舟主が荷主として各寄港で物資を
売り買いしながら航海する点にあり、往復で儲かることから膨大な富を得ていました。

下り荷は、蝦夷地の人々への日常生活品(酒類・飲食品類・衣服用品・煙草)、瀬戸内海各地の塩(漁獲物処理に
不可欠)、紙、砂糖、米、わら製品(縄・ムシロ)、蝋燭(原産地は瀬戸内)、酒などでした。

一方、上り荷(畿内方面)は殆どが海産物で下り荷ほど種類は多くありません。昆布、身欠きニシン、塩数の子、
干しナマコ、干鰯、鰊粕(商品作物栽培のための肥料)などが中心でした。特に昆布は大坂から薩摩を経て
中国にまで密輸出されました。

富山県がダントツの全国一の昆布の消費県(全国平均の約3倍)であり、昆布〆や昆布かまぼこ、昆布巻き(身欠きニシンを昆布で巻いて炊き込んだもの)が多く食されている食文化は北前船で北海道からもたらされたものなのです。

富山湾神通川河口部の岩瀬は、北前船の寄港地であり、当時の海運、水運の交易地として繁栄しました。


<日本海を往く北前船>

<復元された北前船「みちのく丸」
(みちのく北方漁船博物館財団 所有)>

<森家に飾られた北前船の模型>
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