お魚よもやま話

輪島の海女漁 ~海の資源を守り育む 伝統の素潜り漁法~

<能登輪島 舳倉島の海女>

輪島の海女漁の始まりは古く、350年以上もの歴史があると言われており、海女の数も三重県鳥羽に次いで多いことで知られます。
北の沖合いにある舳倉島や七つ島の海域は暖流と寒流がぶつかり合う日本有数の好漁場で、これらの離島では7月~9月にかけて200名以上の海女が、さざえ、あわび、ウニ、海藻などを素潜りで採っています。

素潜り漁法とは、酸素ボンベを持たないで、息の続く限り海底の獲物を探して、採りあげる漁法です。海上との間をこきざみに往復しながら、
磯笛を吹いて空気を貯えてはまた潜ります。
体力の限界へ挑む、身ひとつの漁ですが、それが海の資源を守るために、海女漁、潜水漁関係者が自ら定めた掟(おきて)なのです。
この海女漁という独特な漁業文化は、素潜りであることから必然的に漁獲量が制御され、近年では地域ごとに厳しく漁期を定めたり、漁獲できる貝の大きさを定め、採り過ぎない工夫をするとともに、稚貝を放流するなど、資源を守りながら漁をするエコかつ再生可能な漁法として継承されています。


<鳥羽市(財)海の博物館 資料>

最盛期の昭和30年代には全国で1万7,000人いた海女は、現在では2,000人にまで減少しています。
海の資源は年々減少傾向で、それに伴って収入源の不足から新たに海女になる人が減り、海女の減少と高齢化が課題となっています。

ところで、輪島は山中 毅(やまなか つよし)という自由形の競泳選手を輩出しています。
輪島高校在学中の1956年にメルボルンオリンピックで自由形400mと1,500mの2種目に出場し、惜しくも両種目とも銀メダル。その後、ローマオリンピック、東京オリンピックと3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞しています。
その強さの秘密について、『山中選手の母親は海女で、出産の数日前まで海に潜っていた。そのため「山中は生まれる前から泳いでいた」』との逸話が残っています。

お取扱商品一覧はこちら
おすすめ商品
surimi
おすすめ商品
価格: ¥1,300(税込)
kobujime-baigai
おすすめ商品
価格: ¥1,500(税込)
ayu1
おすすめ商品
価格: ¥3,500(税込)